私ごとで恐縮ではございますが、去る8月11日に父・松喜が永眠いたしました(享年71)。 この事を拙サイトに掲載しようかどうか迷ったのですが、このサイトも私の人生の一部・・・・・暗い話題で恐縮ですが、アップさせて頂きました。 |
父は1年前に手術を行い、それ以降順調に回復し今年の初夏までは本当に元気でした。しかし1ヶ月半前に体調が急激に悪くなり再入院・・・・・小康状態が続いたのですが2日前に肺炎を起こし肺臓炎に悪化。とつぜん危篤状態になりわずか15分で息を引き取ってしまいました・・・・本当に信じられないことでした |
自分は前日の夜、父の病室に泊まって看病にあたったのですが、極度の呼吸困難・・・・”壮絶な”状態でした。ある意味、父が本当に苦しんだのは半日だけ、もし助からない運命だったのなら長い間苦しまないで良かったのかもしれません。自分も最後の夜、一晩付き添うことが出来たのは幸せでした。 |
左写真は、ジムカーナ場でバーキンを運転する父(約8年前)・・・・無類のクルマ好きでした。 |
自分は本当に親父ッコで、子供の頃はいつも親父にベッタリくっついていました。大人になってからもクルマいじりで色々と手伝ってもらい、MGAやキャルロなどの自走不可のクルマを引き取りに行く時は、いつも親父と一緒に2トン車で埼玉に、茨城に、長野に・・・・と繰り出したものでした。 |
一番記憶に残ってるのは、15年ぐらい前にオイル下がり&タービンブローで廃車になっているミラターボを拾ってきて、バルブステムシールを交換したり、焼きついているターボをギャラン用のタービンに無理やり溶接でくっ付けて、再生しました。そしてジムカーナデビューの日の朝4時までかかって直し終わった時、「1時間でも寝ろ」と言われて仮眠をとりました。そして1時間後に起きた時は、(ローダーではなく、普通の)2トン車に積み終わっていて、「気を付けて行って来い!」と言われて送り出されました。自分が大人になっても本当に親父にお世話になりっぱなしでした。 |
結局、親孝行らしいことはほとんど出来ず、唯一最後の夜に一緒に病室で過ごした時も、時折父の意識が戻ると「やす、寝ろ」と気遣ってくれました・・・(涙) 本当にやさしい父でした・・・ |
(ついつい長話になってしまいましたが)ぜひとも皆様、父の冥福をお祈り頂ければ幸いです。自分もこれにめげずに、バンバンHPを更新していきますので、今後とも宜しくお願いしますm(_
_)m |
ここ数日、都筑な方や、メールをくれた方にもご返信が出来ず、済みませんでした。
※8/14夜・お通夜、8/15AM・告別式(ともに横浜)にて行います。もし宜しければご一報くださいませ |